神奈川県氷雪販売業生活衛生同業組合

氷利用の歴史

世界の有史以前

地球は百万年前氷河で厚くおおわれておりました。 以来4回氷河が薄くなったり厚くなったり、現在は第4氷河期と第5氷河期の間にあります。 氷河期は人類の誕生期であり、近代人への転化の試練期であり、人類の心の故郷であります。 第4氷河期の後退と共に人類文化のれい明が急速に展開され、有史以前より人類と氷は切っても切れない縁があります。


有史後の古代

旧約聖書や西暦紀元前千年頃の中国古文書にあるように、 冬に雪や氷を集めて洞穴や人工の穴倉に夏迄貯蔵利用することが太古から存在していたようです。 下って紀元前330年アレキサンダー大王はペルシャ遠征でペトラの永い包囲攻撃の間、30ヶの大穴に雪を貯めてブドー酒を貯蔵した。 また、西暦54年暴君ネロは酒池肉林の大饗宴に使う飲料水を煮沸させ冷却するためにわざわざ山から大量の雪を運ばせて冷却した。 1040年カイロのサルタンは遠くシリアの山の雪を沢山の駅伝を経て特別仕立てのラクダを毎日14頭使い雪を調理場まで運ばせた。 英国王リチャード祇(1157年−1199年)が十字軍遠征の折、サルタンのサラジンから氷で冷やしたシャーベットの 饗応を受け驚嘆の声を発したと記録されている。何れにしてもこれらは王侯貴族が夏にやっとありつけたうまい酒、冷たい水、 冷たい飲みものでありますが、今我々は12世紀のリチャード国王以上のぜいたく生活を楽しんでいます。


日本の古代〜江戸時代

日本書紀によりますと仁徳天皇62年5月、今から約1,600年前、英国王リチャード1世より百年後、 弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおほなかつひこのみこ)が大和の闘鶏(つげ)という処で狩猟を催した時、 野原の中に見たことのない芽室が造ってあるのを発見、村長にわけを聞くと「これは冬に氷を貯蔵しておく氷室(ひむろ)というもので、 夏になって氷を取り出し、酒を冷却し或は暑さしのぎに用いるものです」と答えた。

皇子は大変関心し氷を持参して仁徳天皇に献上すると天皇は大変喜ばれた。 注目すべきことは洋の東西を問わず氷の利用が酒の保存と関係が深かったことです。 酒は神様とのコミュニケーションの手段として又部族のリラックスとした話し合いの場を造る神の酒として大変な貴重品であった。 この大事な酒が昔は防腐剤が無く、気温が上昇すると忽ち発酵が進み酢に変化する。

おいしい酒を飲めることは今日我々が想像する以上に大変なことで、酒を保存できることは大変なことであり、 そのためにぼう大な労作業を要する氷室造りも労をいとわなかったと想像されます。 その酒は多分今日の防腐剤なしの生酒のようにワイン的な味がしただろうと思います。 以後毎年12月になると必ず氷室に氷を貯え朝廷へ氷を献上した。下って元明天皇時代、奈良の三笠山のご料地に国営の氷室を造り、 製氷と貯氷に努めた。

それには神の御加護が必要であるということで、和銅3年(BC705年)貯氷の発明者、闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおほやまぬしのみこと)と 額田大中彦皇子を合祀し、その後清和天皇は更に仁徳天皇を加えて氷室神社とした。

現在の奈良市春日山の氷室神社である。氷室神社は全国に22社あり、この三神を祀ったものは6−7社あり、 奈良の氷室神社では毎年5月1日の献氷祭が今日まで約1,300年つづいています。

奈良時代の左大臣、長屋王の邸宅跡から最近出土した木簡から貴重な天然氷をふんだんに使ったぜいたくな生活が浮き彫りにされた。 やがて京都に遷都されるや、氷室の国家管理が制度化し、延喜式(927年)が施行された。 宮内庁長官の下に氷の一切の管理と氷による農業の豊凶を占う職務として主水司が置かれ職員が中央、 地方合せて数百名、管理する氷室は山城口、大和口、近江口、丹波口など21氷室を管理する。氷の池は540池、 氷室の運用は旧暦4月1日に氷室を開き、6月1日を氷の日として制定しております。

毎年元旦に宮中で儀式が行なわれ、主水の司は天皇の御前で氷の池の数、氷室の数、前年との比較を報告し、 池の氷の厚さを過去と比較して農業の豊凶の予想を奏上した。この行事は朝廷の主要な儀式として明治維新まで維持された。 当時の氷室は土を3米以上掘ってカヤとススキを厚く敷き、その上に氷を置きその上をカヤで覆った。 因みに加賀藩の氷室は5間(9米)四方のスリ鉢型の穴を掘り下に竹を敷きその上に枯松更にスノコを何枚も重ねて、 更にその上に松の青葉や笹を敷く、その上に雪を山のように大きく積み重ねる。その上にさらに笹を敷き更に竹の葉を並べてかけるという。

朝廷の氷の配分は毎日約1鼎良垢鮠暖颪靴討い燭茲Δ如運搬中の溶ける保留1/2を考えると毎日5-10鼎良垢鯣惰していたと想像されます。 日本最古のカキ氷の記録として清少納言の枕の草子に「削り氷にあまづら(あま茶)入れて食す」とあります。 江戸時代金沢の加賀前田侯は120里(約500km)離れた江戸の将軍家に毎年6月1日氷雪を献上した。 さてこの加賀藩の献上氷は金沢から東京まで550kmを早飛脚で運ばれたが、江戸に到着した時氷雪は約2割に減っていたそうです。